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KDFだより番外編:デザイン・アート・エコ from ベルリン【5】

KDFだより番外編:デザイン・アート・エコ from ベルリン【5】ロックダウン徐々に緩和、この時期に見上げる「記憶の記念碑」
[2021 Mai. 25]

KDF会員 加賀田恭子
http://www.kdf.or.jp/profile/graphic/1319
より、ドイツ・ベルリンから見るデザイン・アート・エコ情報をお届けします。

私たちが暮らしているベルリンの地区は、かつて多くのユダヤ人が暮らしていました。驚くような著名人も居て、なんといっても私の一番のビックリは…!
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……アインシュタインが住んでいたアパートメント(外装は変わっています)。この後、アメリカに渡り、ベルリンに戻ることはありませんでした。モニュメントと、部屋の場所と思われる最上階バルコニーには「E = mc2」とあり!

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ロックダウンで散歩ばかりしているせいか、このような記念碑をよく目にします。ベルリンの壁の跡もこのとおり。「ベルリンの壁 1961-1989」とあります。スマートなのに印象強く、当時に思いを馳せずにはいられない、これぞデザイン!!!

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ドイツでは子供や社会の教育において、過去の歴史の反省に力を入れている…そんなことを思い出しながら、ある日、道路の上の方にある看板に気づきました。

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なんとかドイツ語が読めそうなものからいきましょう。「映画館、劇場、オペラ、コンサートへの訪問を、ユダヤ人に禁じる。 1938年11月12日」、裏にはシャンパングラスの絵。2人の芸術家による、ユダヤ人の公的な権利の剥奪を表現した「Denkmal Orte des Erinners (記憶の場所の記念碑)」アートプロジェクトです。

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「ユダヤ人の子供は公立学校に通えない。1938年11月15日」
「学校への出席を禁じる。1942年6月20日」

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「ユダヤ人はスポーツや体操クラブから除外する。 1933年4月25日」

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「ユダヤ人の子供は、通学路が5マイル以上離れている場合にのみ、公共交通機関の使用を許可。1942年3月24日」

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「ユダヤ人のペットの飼育を許可せず。 1942年2月15日」

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「ジャーナリストは、1800年までさかのぼり、自分と配偶者が、アーリア人の子孫をであることを証明する。1936年4月15日」

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「ユダヤ人はベルリンの入浴施設やプールに立ち入ることは出来ない。1938年12月3日」

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「ユダヤ人の名前が付いている通りは名前を変更する。バイエルン地区の創設者にちなんで名付けられたHaberland Straßeは、TreuchtlingerおよびNordlinger Straßeに改名。 1938年7月27日」。アインシュタインのアパートはこの通り付近にあります。

これらはほんの一部で、全部で80枚の看板は、以下から見ることができます。
https://www.stih-schnock.de/remembrance.html

これらとは比較にもなりませんが、私たちもロックダウンで「当たり前と思っていたことが出来ない」ことを体感しました。先の予定もたてられず、家族も周りも我慢を強いられました。これも時が経てば、忘れていくのかもしれません。

5月末になり、少しつづ制限も緩和されていく中で、この看板を見上げて立ち止まる、そんな時間を意識したいと思います。

過去の記事はこちら

●デザイン・アート・エコ from ベルリン【1】スーパーマーケットが打ち出す「ご近所バロメーター」とは?!
http://www.kdf.or.jp/node/813

●デザイン・アート・エコ from ベルリン【2】なんと年間約35万本。クリスマスツリー生木はどこへゆく?!
http://www.kdf.or.jp/node/819

●デザイン・アート・エコ from ベルリン【3】「そのまま入ってる!?」と、けっこう驚くパッケージ事情
http://www.kdf.or.jp/node/824

●デザイン・アート・エコ from ベルリン【4】「荷物はご近所から受け取って」1階住民のミッション?!ベルリン宅配事情